野上のブログ

カンナに感動した一日(手刻み、手仕事、社員大工、カンナ、大彦の大工)

8月中旬のお話。

私の祖父の代から大彦に勤めてくれ、近年の大彦の礎を築いてくれた尾崎棟梁が病気でお亡くなりになりました。なんてたって、私が何グラムで生まれてくるかを賭けてたらしいですから、生まれてこの方ずっと身近にいた方。

小さい頃はよく遊びに連れて行ってくれたし(父は世の中の「お父さん」らしく遊びにつれていってくれた事はほとんどなかった)、高校生の頃駅前にとめていた自転車が盗まれた時も一緒に探してくれたり、とにかく本当にお世話になったおっちゃん。

弊社では「棟梁!」と言うと、尾崎棟梁のことを指しまして、僕も数えきれないくらい「棟梁!棟梁!」と呼ばせてもらいました。

仕事はぴか一&早い。昔よくできる大工さんのことを「天狗さん」と呼んだそうで、祖父は尾崎棟梁のことを「天狗さんの神さんや」と言っていた位。祖父も和歌山では有名な腕のたつ棟梁で、尾崎棟梁はその祖父のことを尊敬してくれ、そして何より大好きだったようで、墓参りやお盆やお正月にもうちの仏壇には必ず棟梁からのお供えものがありました。

さらに尾崎棟梁は休まないし我慢強い。お年をめしても毎日会社にでてきてなんと83歳まで働いてくれた(70代半ばくらいからは半日。最後数年は朝数時間程度てしたが)スーパーマンでした。

我慢強く、弱みを見せるのが嫌なカッコイイ人。普段は作業着ですが、仏事などでスーツなど着るとすらっとしていてめっちゃカッコよかったことも思い出されます。

とにかく仕事熱心で、大彦のことを常に考えてくれ、大彦を語る上では絶対に欠かせない人でした。

ちょっと調子が悪いので病院に行ってくると言ったのが8月初め(その時、棟梁が言う位だからもう随分悪いのではなかろうかと思っていました)

病院に行った翌日も若い大工さんたちの指導に出てくれていましたが、棟梁から「俺ももう今年一杯位が限界だと思う。2月に辞める。そこまで仕事にでてきていいかな?」と言われ、「例え30分でも構わないから、棟梁が出てきたいと思うまで仕事に来てください」と最後の会話をしてから、1週間。お盆明けに棟梁は亡くなりました。「最後の最後、本当のギリギリまで働いてたのは本当に棟梁らしいな」と皆が言う位、最後もカッコよかった。

何と60年以上も大彦に勤めてくれたことは、大彦にとってこれ以上のない幸せです。そして、尾崎棟梁の性格を考えるに、最後の最後まで働けたことは棟梁にとっても幸せだったろうと思うのです(失礼な言い方になっちゃいます。一般的にはお年をめしたらゆっくりするのが幸せだし、あくまでも棟梁の性格を考えての話です)

私と大工さん2人で(山本棟梁と坂本棟梁)でお悔みにいったさい、大彦の半纏と棟梁が愛用していたカンナを天国にもっていってもらおうと持参したところ、金属はダメとなり、がっかりして帰ってきた所、

その日の夕方、山本棟梁がこんなものをつくっていました。カンナの刃を抜き、木でかんなの刃を造っていたのです。それもほんの30分ほどで。

だれも何も言わない中、このようなことをわざわざしてあげる。そして、木で造ったってどうせ燃やされるのに、細部まできっちり造っている。

尾崎棟梁の大工魂はしっかりと受け継がれている。何より、一手間かけてこのようなものを造ってお棺にいれようとするその心が嬉しくて、手前味噌ですが「ええ会社やな」と思い、ぐっときてしまいました。

尾崎棟梁に恥ずかしくない仕事をこれからも皆で続けてまいります。本当に長い間お疲れ様でした。誠にありがとうございました。


おまけ))

こういう話はどうかと思ったのですが、禁をやぶって投稿します。

実は、私の父はずっと前から体も頭の調子もよくありません。そもそもが24年前、私が25歳の頃設計事務所修行を切り上げて帰ってきたのも、父の脳梗塞が原因でした。それから、一時期はマシになった時もあるけど、どんどんと調子は悪くなってきていて、もう随分前からいつ何がある分からない覚悟もしています。

尾崎棟梁と父は1歳差で、ずっと若い頃から付き合いのある2人。祖父が引退してからは2人で大彦を支えてきました。器は大きいけどワンマンで気難しい父親の相手をする尾崎棟梁も大変だったろうと思います。

まさか、父より尾崎棟梁の方が先に亡くなるとは、大彦の誰もが思ってもみなかった。

私たちが尾崎棟梁の訃報を聞いた夕方。足も悪く、ほとんど外にでることもなく、外に行きたいとも言わない(というか色々分からないから)父が、何と「会社に行く」と言うのです。(会社の裏が自宅です。正確にいうと会社が何かは分かっていないけど、とにかく偉い人が来たからあっち(会社の方向)に行かなあかん!と言うのです)

母が困っていると連絡を受け、父をなだめに行きましたが、ほとんど歩けない足で何とか会社に行こうとして強硬に言い張る父を見て、「もしかしたら棟梁が来ているのかも」と。棟梁がもし最後の最後に挨拶に来るなら永年苦労を共にした父しかいないから…


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